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名古屋地方裁判所 平成4年(行ウ)33号 判決

愛知県碧南市道場山町四丁目六八番地

平成四年(行ウ)第三六号事件

平成六年(行ウ)第一五号事件

原告

原田美貴夫

愛知県碧南市道場山町四丁目六八番地

平成四年(行ウ)第三三号事件

平成六年(行ウ)第一六号事件

原告

原田笑子

愛知県碧南市道場山町四丁目六八番地

平成四年(行ウ)第三五号事件

平成六年(行ウ)第一七号事件

原告

原田義久

愛知県安城市里町三郎三番地九

平成四年(行ウ)第三四号事件

平成六年(行ウ)第一八号事件

原告

久野恵子

右四名訴訟代理人弁護士

同右

田中清隆

同右

高木道久

愛知県刈谷市神明町三丁目三四番

被告

刈谷税務署長 川上栄一

右指定代理人

加藤裕

同右

太田尚男

同右

戸苅敏

同右

相良修

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  平成四年(行ウ)第三三号事件

被告が平成元年一月三〇日付けで原告原田笑子の昭和六〇年分から昭和六二年分までの各所得税についてした各更正及び各過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。

二  平成四年(行ウ)第三四号事件

被告が平成元年一月三〇日付けで原告久野恵子の昭和六〇年分から昭和六二年分までの各所得税についてした各更正及び昭和六二年分の所得税についてした過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。

三  平成四年(行ウ)第三五号事件

被告が平成元年一月三〇日付けで原告原田義久の昭和六〇年分から昭和六二年分までの各所得税についてした各更正及び各過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。

四  平成四年(行ウ)第三六号事件

被告が平成元年一月三〇日付けで原告原田美貴夫の昭和六〇年分から昭和六二年分までの各所得税についてした各更正(確定申告額を超える部分。昭和六二年分については、異議決定により一部取り消された後のもの)及び各加算税賦課決定(昭和六二年分については、異議決定により一部取り消された後のもの)をいずれも取り消す。

五  平成六年(行ウ)第一五号事件

被告が平成四年三月一六日付けで原田美貴夫の昭和六三年分の所得税についてした更正(確定申告額を超える部分)及び重加算税賦課決定をいずれも取り消す。

六  平成六年(行ウ)第一六号事件

被告が平成四年三月一六日付けで原田笑子の昭和六三年分の所得税についてした更正及び過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。

七  平成六年(行ウ)第一七号事件

被告が平成四年三月一六日付けで原告原田義久の昭和六三年分の所得税についてした更正及び過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。

八  平成六年(行ウ)第一八号事件

被告が平成四年三月一六日付けで原告久野恵子の昭和六三年分の所得税についてした更正及び過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。

第二事案の概要

一  争いのない事実等

1  原告ら

(一) 原告原田美貴夫(昭和四年八月二日生。以下「原告美貴夫」という。)と原告原田笑子(以下「原告笑子」という。)は、昭和三〇年に婚姻した夫婦であり、原告原田義久(以下「原告義久」という。)は、原告美貴夫と笑子の長男として昭和三一年に出生し、原告久野恵子(以下「原告恵子」という。)は、原告美貴夫と原告笑子の長女として昭和三五年に出生した。

(二) 原告らは、昭和六〇年から昭和六三年までは、愛知県碧南市道場山町四丁目六八番地の自宅(以下「原告ら宅」という。)において、同居して生活していた。

(三) 原告美貴夫は、昭和四二年に司法書士となったが、昭和六〇年四月に廃業し、それ以降は自宅におり、原告笑子は、専業主婦であり、原告義久は、昭和五〇年の高校卒業以降、日本電装株式会社(以下「日本電装」という。)に勤めており、原告恵子は、昭和五六年の短大卒業以降、株式会社協同エクスプレスサービス(その後、株式会社オレンジツーリストに社名変更した。以下、この会社を「オレンジツーリスト」という。)に勤めていた。

(四) 原告らの家計費は、原告美貴夫が負担していた。

2  原告ら名義による株式取引

内外証券株式会社碧南支店(以下「内外証券」という。)、丸八証券株式会社碧南支店(以下「丸八証券」という。)及び丸万証券株式会社安城支店(以下「丸万証券」という。)において、昭和六〇年から昭和六二年までは別表(一)、昭和六三年は別表(二)記載のとおり、原告ら名義による株式取引が行われた(以下、これらの株式取引を「本件株式取引」という。)。

3  各原告名義相互間における株式の移動

(一) 本件株式取引の中には、昭和六〇年から昭和六二年までは別表(三)、昭和六三年は別表(四)(中部水産の株式を除く。)記載のとおり、ある原告の名義の株式取引口座において買い付けられた株式が、他の原告の名義の株式取引口座において売り付けられている場合がある。

(二) 原告美貴夫は、昭和五九年にカネツ商事株式会社名古屋支店(以下「カネツ商事」という。)において商品取引を行っていたが、右商品取引の委託証拠金代用証券として預託され、かつ、右商品取引の損失の補填金に充てられた株式は、原告笑子及び原告義久の名義のものであった。

(三) 原告らは、右株式の移動に関して、出入帳等は作成しておらず、有価証券取引税や贈与税の申告もしていなかった。

4  各原告名義相互間における資金の移動

(一) 本件株式取引の中には、昭和六〇年から昭和六二年までは別表(五)、昭和六三年は別表(六)(昭和六三年九月のものを除く。)記載のとおり、ある原告の名義の預金口座等の資金や株式取引口座における売付株式の代金が、他の原告名義の株式取引口座における買付株式の代金に充当されている場合がある。

(二) 原告らは、右資金の移動に関して、金銭消費貸借契約書等の書類は作成しておらず、贈与税の申告もしていなかった。

5  確定申告

(一) 原告美貴夫は、いずれも法定申告期限までに、被告に対し、昭和六〇年分から昭和六二年分までの各所得税については別表(七)、昭和六三年分の所得税については別表(八)の各確定申告欄記載のとおり、確定申告をした。

(二) 原告笑子は、いずれも法定申告期限までに、被告に対し、昭和六〇年分から昭和六二年分までの各所得税については別表(九)、昭和六三年分の所得税については別表(十)の各確定申告欄記載のとおり、確定申告をした。

(三) 原告義久は、いずれも法定申告期限までに、被告に対し、昭和六〇年分から昭和六二年分までの各所得税については別表(十一)、昭和六三年分の所得税については別表(十二)の各確定申告欄記載のとおり、確定申告をした。

(四) 原告恵子は、いずれも法定申告期限までに、被告に対し、昭和六〇年分から昭和六二年分までの各所得税については別表(十三)、昭和六三年分の所得税については別表(十四)の各確定申告欄記載のとおり、確定申告をした。

(五) 原告らは、各原告名義の本件株式取引及びこれに基づく所得がいずれも各名義人に帰属するとの前提に立って、右各確定申告をした。

6  税額還付

(一) 原告笑子は、昭和六〇年分について四四万九七二五円、昭和六一年分について四三万六六七七円、昭和六二年分について五七万三七七四円、昭和六三年分について五二万六四八〇円の税額還付を受けた。

(二) 原告義久は、昭和六〇年分について一二万一五五〇円、昭和六一年分について一四万八三二五円、昭和六二年分について一九万五三八〇円、昭和六三年分について一二万八三九九円の税額還付を受けた。

(三) 原告恵子は、昭和六〇年分について六万四二五〇円、昭和六一年分について九万七一五〇円、昭和六二年分について一〇万七九七五円、昭和六三年分について二一万三六九〇円の税額還付を受けた。

7  更正及び賦課決定

(一) 被告は、昭和六〇年分から昭和六二年分までの各所得税について、平成元年一月三〇日付けで、原告美貴夫に対しては別表(七)、原告笑子に対しては別表(九)、原告義久に対しては別表(二)、原告恵子に対しては別表(十三)の各更正欄及び賦課決定欄記載のとおり、それぞれ更正並びに重加算税及び過少申告加算税の賦課決定をした(以下、これらの各更正を「本件更正(一)」といい、各賦課決定を「本件賦課決定(一)」といい、合わせて「本件処分(一)」という。)

(二) 被告は、昭和六三年分の所得税について、平成四年三月一六日付けで、原告美貴夫に対しては別表(八)、原告笑子に対しては別表(十)、原告義久に対しては別表(十二)、原告恵子に対しては別表(十四)の各更正欄及び賦課決定欄記載のとおり、それぞれ更正並びに重加算税及び過少申告加算税の賦課決定をした(以下、これらの各更正を「本件更正(二)」といい、各賦課決定を「本件賦課決定(二)」といい、合わせて「本件処分(二)」という。)。

(三) 被告は、本件株式取引及びこれに基づく所得がすべて原告美貴夫に帰属すると認定した上で、本件処分(一)(二)をした。

すなわち、所得税法(昭和六三年法律一〇九号による改正前のもの)九条一項一一号イは、「継続して有価証券を売買することによる所得として政令で定めるもの」を非課税所得から除外し、これを受けて、同法施行令(昭和六三年政令三六二号による改正前のもの)二六条一項は、「営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得」については、非課税所得から除外する旨規定し、同条二項は、その年中における株式の売買の回数が五〇回(昭和六三年分については三〇回)以上であり、かつ、その売買した株数の合計が二〇万株(昭和六三年分については一二万株)以上であるときは、右取引は、営利を目的とした継続的行為に該当する旨規定していた。

そして、本件株式取引がすべて原告美貴夫に帰属するとの前提に立つと、原告美貴夫の昭和六〇年から昭和六二年までの各年における株式の売買の回数は、いずれも五〇回以上となり、かつ、その売買した株数の合計は、いずれも二〇万株以上となり、また昭和六三年における株式の売買の回数は、三〇以上となり、かつ、その売買した株数の合計は、一二万株以上となることから、被告は、本件株式取引による所得は、非課税所得に当たらないとした。

8  異議決定

(一) 各原告は、平成元年三月三〇日、被告に対し、本件処分(一)について異議申立てをしたが(以下、これらの各異議申立てを「本件異議申立て(一)」という。)、被告は、同年七月三日付けで、原告美貴夫の昭和六二年分の課税処分額を一部減額する決定をしたほか、本件異議申立て(一)をいずれも棄却する旨の決定をした。

(二) 各原告は、平成四年五月一四日、被告に対し、本件処分(二)について異議申立てをしたが(以下、これらの各異議申立てを「本件異議申立て(二)」という。)、被告は、同年八月七日付けで、本件異議申立て(二)をいずれも棄却する旨の決定をした。

9  審査裁決

(一) 各原告は、平成元年七月三一日、国税不服審判所長に対し、本件処分(一)(原告美貴夫の昭和六二年分については、異議決定により一部取り消された後のもの)についてそれぞれ審査請求をしたが(以下、これらの各審査請求を「本件審査請求(一)」という。)、国税不服審判所長は、平成四年五月一二日付けで、本件審査請求(一)をいずれも棄却する旨の裁決をした。

(二) 各原告は、平成四年九月八日、国税不服審判所長に対し、本件処分(二)について審査請求をしたが(以下、これらの各審査請求を「本件審査請求(二)」という。)、国税不服審判所長は、平成六年三月二二日付けで、本件審査請求(二)をいずれも棄却する旨の裁決をした。

10  所得金額

本件株式取引が、原告笑子ら名義の株式取引口座に係るものも含めて、すべて原告美貴夫に帰属するとした場合の各原告の所得金額は、次のとおりとなる。

(一) 原告美貴夫の所得金額

(1) 雑所得

昭和六〇年から昭和六三年までの各年における原告美貴夫の株式の売買回数及び売買株数は、第7項(三)記載の非課税所得の除外要件を充足するから、課税の対象となる。

したがって、原告美貴夫には、本件株式取引による利益と昭和六〇年分のカネツ商事における大豆等の商品取引による損失とを合算して、昭和六〇年には九二二三万九一〇二円、昭和六一年には一億三一六三万八三九二円、昭和六二年には二億〇六四三万四三九六円、昭和六三年分には五六一九万二三一六円の所得があったことになる。

そして、昭和六〇年から昭和六三年までの各年における本件株式取引及び右商品取引は、いずれも事業的規模で行われたものではないから、右所得は、雑所得となる。

(2) 利子所得

本件株式取引に基づく所得を原資とする各原告名義の公社債投資信託等及び定期預金に係る利子所得は、すべて原告美貴夫に帰属することになるから、原告美貴夫には、昭和六〇年分として二一万七一九〇円、昭和六一年分として一三九万五九一七円、昭和六二年分として一八五万九九九三円、昭和六三年分として一二二万〇七三三円の利子所得があったことになる。

(3) 配当所得

本件株式取引によって取得された株式から得られた配当所得は、すべて原告美貴夫に帰属することになるから、原告美貴夫には、昭和六〇年分として四九三万五五〇〇円、昭和六一年分として五三二万二二五〇円、昭和六二年分として六八四万一〇〇五円、昭和六三年分として五六八万六二七五円の配当所得があったことになる。

(4) 事業所得

原告美貴夫には、昭和六〇年分として二七万〇八五〇円の事業所得があった。

(5) 総所得金額

そうすると、原告美貴夫の総所得金額は、昭和六〇年分が九七六六万二六四二円、昭和六一年分が一億三八三五万六五五九円、昭和六二年分が二億一五一三万五三九四円、昭和六三年分が六三〇九万九三二四円であったことになる。

(6) 分離課税の長期譲渡所得

原告美貴夫には、昭和六三年分として二二〇八万七五〇〇円の長期譲渡所得があった。

(二) 原告笑子の所得金額

原告笑子が昭和六〇年分から昭和六三年分までの各所得税について確定申告をした配当所得は、原告美貴夫に帰属することになるから、原告笑子の右各年分の配当所得の金額及び総所得金額は、いずれも〇円となる。

(三) 原告義久の所得金額

原告義久が昭和六〇年分から昭和六三年分までの各所得税について確定申告をした配当所得は、原告美貴夫に帰属することになるから、原告義久の右各年分の配当所得の金額は、いずれも〇円となる。

そうすると、原告義久の右各年分の総所得金額は、日本電装からの給与収入に係る給与所得の金額であり、昭和六〇年分が二八六万八二〇〇円、昭和六一年分が三一九万七八〇〇円、昭和六二年分が三四七万三〇〇〇円、昭和六三年分が三七四万八二〇〇円となる。

(四) 原告恵子の所得金額

原告恵子が昭和六〇年分から昭和六三年分までの各所得税について確定申告をした配当所得は、原告美貴夫に帰属することになるから、原告恵子の右各年分の配当所得の金額は、いずれも〇円となる。

そうすると、原告恵子の右各年分の総所得金額は、オレンジツーリストからの給与収入に係る給与所得の金額であり、昭和六〇年分が一四三万三八〇〇円、昭和六一年分が一六一万八六〇〇円、昭和六二年分が一五四万三〇〇〇円、昭和六三年分が二一〇万五八〇〇円となる。

11  本件各処分の適法性

(一) 本件更正(一)(二)

右10の所得金額を前提とすると、各原告に対する本件更正(一)(二)に係る総所得金額は、いずれも各原告の総所得金額の範囲内にある。

(二) 本件賦課決定(一)(二)

原告美貴夫に対する本件更正(一)(二)の結果納付すべきこととされる税額を基礎として、国税通則法六八条(昭和六二年分及び昭和六三年分については、昭和六二年法律第九六号による改正後のもの。以下同じ。)一項に従って計算した金額を原告美貴夫に対する重加算税として賦課すると、原告美貴夫に対する本件賦課決定(一)(二)のとおりとなる。

また、原告笑子らに対する本件更正(一)(二)の結果納付すべきこととなる税額を基礎として、同条一項及び二項に従って計算した金額を原告笑子らに対する過少申告加算税として賦課すると、原告笑子らに対する本件賦課決定(一)(二)のとおりとなる。

二  争点

(被告の主張)

1 本件株式取引に基づく所得の主体

(一) 各原告名義の株式取引口座、預金口座等における株式及び現金の管理支配の主体

(1) 株式について

争いのない事実等第3項(三)の事実からすると、同項(一)(二)記載の各原告名義相互間における株式の移動については、株式の売買や贈与が行われたということはできない。

したがって、各原告名義の株式取引口座において買い付けられた株式は、その名義に関係なく一括して管理され、適宜の原告の株式取引口座に振り分けられて売り付けられていたものであり、これらの株式は、同一人によって管理支配されていたというべきである。

(2) 資金について

争いのない事実等第4項(一)記載の資金の移動の中には、ある原告の名義の株式取引口座における売付株式の代金が、他の原告の名義の株式取引口座における買付株式の代金に充当されている場合があり、昭和六〇年分から昭和六三年分まででは合計一七銘柄に及んでいるほか、ある原告の名義の預金口座等における資金が、他の原告の名義の株式取引口座における買付株式の代金に充当されている場合がある。このうような資金の移動は極めて恒常的に行われており、例えば昭和六一年における資金移動額の合計は約三億二〇〇〇万円にも達しており、これは同年の取引総額である約一一億円の約三割にも相当する。

そして、同項(二)の事実からすると、同項(一)の各原告名義相互間における資金の移動については、資金の貸借又は贈与が行われたということはできない。

したがって、各原告名義の株式取引口座、預金口座等における資金は、その名義に関係なく一括して管理されていたものであり、同一人によって管理支配されていたというべきである。

(3) 株券及び資金の管理支配の主体が原告美貴夫であること

〈1〉 昭和六〇年から昭和六三年までの間において、原告らの生計を主宰し、経済的な実権を握っていたのは原告美貴夫である。

〈2〉 また、本件株式取引において実際に証券会社に電話をして売買注文(売買に係る株式の銘柄、数量、取引価格の指示)をしたり、実際に証券会社との間で株券や現金の受渡しをしていたのは、専ら原告美貴夫であった。

〈3〉 したがって、各原告名義の株式取引口座、預金口座等における株式及び資金は、原告笑子、原告義久及び原告恵子(以下、これら三名を「原告笑子ら」という。)の名義のものも含めて、原告美貴夫が一括して管理支配していたということができる。

(二)(1) 株式取引による所得の帰属主体については、誰の計算において株式取引が行われたかによって判断すべきであり、誰の計算において株式取引が行われたかについて、取引資金の出所、損金取引に係る危険負担、益金の処分権能等が誰に帰属するかを検討して判断すべきである。

(2) そして、右(一)で検討したところからすると、本件株式取引においては、取引資金、損金取引に係る危険負担、益金の処分権能等は、いずれも原告美貴夫に帰属するといえるから、本件株式取引に基づく所得は、すべて原告美貴夫に帰属する。

2 原告美貴夫に対する本件賦課決定(一)(二)の適法性

(一) 右1(二)で述べたとおり、本件株式取引に基づく所得は、すべて原告美貴夫に帰属するから、原告美貴夫に対する本件更正(一)(二)は、適法である。

(二) 原告美貴夫は、原告笑子ら名義の株式取引口座を借用し、本件株式取引が各原告によって行われたかのごとく装うことによって、本件株式取引による所得が非課税所得であるかのように偽り、もって雑所得として申告しなかったとともに、原告笑子ら名義による本件株式取引による所得が原告笑子らの所得であるかのように偽り、原告笑子らをして源泉徴収税額の還付を受させた。

また、原告美貴夫は、本件株式取引に基づく所得を原資とする利子所得及び本件株式取引によって取得された株式から得られた配当所得についても、原告笑子ら名義に分散して申告することによって、自己の所得を過少に申告し、自己が負担すべき所得税を免れた。

したがって、このような原告美貴夫の行為は、国税通則法六八条一項に規定する「国税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の一部を隠ぺいし、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出していた」に該当する。

したがって、原告美貴夫には、重加算税の要件がある。

(原告らの反論)

1 被告の主張第1項(一)(1)(各原告名義の株式取引口座における株式の管理支配の主体)について

(一) 各原告の株券の保管状況

(1) 原告美貴夫は、保有している株式の株券や証券会社の預り証を、自宅一階寝室に置かれた専用の金庫の中に保管していた。

(2) 原告笑子は、保有している株式の株券や証券会社お預り証を、自宅一階居間に置かれた専用の金庫の中に保管していた。

(3) 原告義久は、保有している株式の株券や証券会社の預り証を、自宅二階の原告恵子の部屋に置かれた金庫の下段に保管していた。

(4) 原告恵子は、保有している株式の株券や証券会社の預り証を、自宅二階の自室に置かれた金庫の上段に保管していた。

原告恵子は、平成四年二月に婚姻し、原田家を離れたが、現在では約五〇〇〇万円相当の株式を保有しており、その株券や預り証は、愛知県安城市里町三郎三番地九の婚家先の金庫の中に保管している。

(5) このように、原告らは、その保有する株式の株券や証券会社の預り証を、別の原告のものとは絶対に混同しない状況の下で、それぞれ金庫の中に保管していた。

したがって、各原告名義の株式が、すべて原告美貴夫によって管理支配されていたということはない。

(二) そして、各原告名義相互間において株式の移動がみられるのは、以下に述べるとおり、複数の原告が、そのうちの一人の名義で同一銘柄の株式を買い付け(以下、このような買付を「共同買付」という。)、後に右株式の一部を、証券会社を通さずに、実質的な買付人の名義に書き換えたり、各原告相互間で株式を贈与したりしたためである。

(1) 共同買付

右共同買付が行われたのは、別表(三)に係るものは、別表(十五)に「共同買付」等と記載されている場合(△印の付されたもの)である。

別表(四)については、次のとおりである。

〈1〉 原告美貴夫は、昭和六二年一〇月一日、丸万証券においてオーバル機器工業の株式二〇〇〇株を買い付けたが、そのうち一〇〇〇株が原告恵子の分であり、その代金は、同月一〇日に受領した。

〈2〉 昭和六三年五月、六月に原告美貴夫名義で売り付けられた中部水産の株式一万五〇〇〇株は、原告美貴夫が、昭和六〇年一一月一四日に内外証券において買い付けた分であり、原告笑子が保有していた三万一〇〇〇株の一部ではない。

共同買付は、特定銘柄の株価の見込みについて複数の原告の意見が一致した場合に、証券会社に対して支払う手数料や、各原告の株式の売買回数の節約を意図して行っていた。

なお、共同買付を行った株式については、各原告が、実質的に買い付けた株式数に応じて資金を負担していたし、株主名簿についても、実質的な買付人の名義に書き換えており、株券についても、実質的な買付人が、自己の金庫の中に保管していた。

(2) 贈与

右贈与が行われたのは、別表(三)に係るものについては、別表(十五)に「贈与」と記載されている場合(印の付されたもの)である(ただし、昭和六〇年五月二日に原告美貴夫が原告恵子に大都魚類株二〇〇〇株を贈与した旨の主張は、撤回し、共同買付に改める。)。

別表(四)に係るものについては、次のとおりである。

〈1〉 原告美貴夫は、昭和六二年一〇月一日に丸万証券において買い付けたオーバル機器工業の株式二〇〇〇株のうち、一〇〇〇株を同年一二月三〇日、原告恵子に贈与した。

〈2〉 また、原告美貴夫は、昭和六二年九月三〇日に丸万証券で買い付けた同社の株式一〇〇〇株を昭和六三年一月五日、原告恵子に贈与した。

2 被告の主張第1項(一)(2)(各原告名義の株式取引口座、預金口座等における資金の管理支配の主体)について

(一) 各原告名義の株式取引口座、預金口座等における資金が、すべて原告美貴夫によって管理支配されていたということはない。

(二) そして、各原告名義相互間において資金の移動がみられるのは、以下に述べたとおり、各原告相互間で資金の融通が行われたためである。

(1) 右資金の融通が行われたのは、別表(五)に係るものについては、別表(十五)に「売却代金」、「引出金」等と記載されている場合(〇印の付されているもの)である。

別表(六)に係るものについては、次のとおりである。

〈1〉 原告美貴夫は、昭和六三年二月二三日に原告笑子から二〇〇〇万円を借り受けたが、同月二九日、一七〇〇万円を返済し、残金三〇〇万円は、原告笑子の普通預金口座に入金して返済した。原告笑子は、右一七〇〇万円と自己資金二〇〇〇万円とを合わせ、丸万証券において中期国債ファンドに投資した。

〈2〉 昭和六三年九月に原告笑子及び原告義久から原告美貴夫に支払われた金銭は、土地建物等の売却代金であり、本件株式取引のための資金の融通ではない。

(2) 手許現金による資金の融通

昭和六一年から昭和六二年にかけては、各原告の株式取引が極めて盛んであり、原告らは、各自、株式取引の資金として、銀行預金のほかに手許に常時二〇〇万ないし三〇〇万円、多い時には七〇〇万ないし八〇〇万円の現金を用意していた。

しかし、たまたま、ある原告について株式の買付の約定が成立した日の後四取引日内にその代金の支払が間に合わないなど、決済資金が不足する事態が生じた場合には、他の原告から一時借用することがあった。

(3) 口座上の資金の融通

ある原告の株式取引口座に売却代金の残額がある場合において、他の原告の買付代金が不足したようなときには、証券会社の担当者から「残のある方から不足する方へ回してもよろしいか。」という電話連絡があり、これを承諾することによって、資金の融通をつけることもあった。

3 共同買付や資金の融通に関する清算

(一) 原告らは、共同買付や資金の融通について特別に出入帳等は作成していなかったが、証券会社から売買報告書を受け取る度に、その欄外や裏面に共同買付、資金の融通等の事実をメモ書きしておいて、後日の清算等に備えており、右第2項(二)(2)で述べた手許現金によって、清算を行っていた。

(二) 右清算が行われたのは、別表(十五)では、「現金で支払」、「現金で受取」等と記載されている場合(×印の付されているもの)である。

4 被告の主張第1項(一)(3)(株券及び資金の管理支配の主体が原告美貴夫であること)について

(一) 本件株式取引において実際に証券会社に電話をして売買注文をしていたのは、原告美貴夫名義のものは原告美貴夫であり、原告笑子ら名義のものは原告笑子であった。

なお、原告義久及び原告恵子の名義のものは、各名義人が記入したメモ等に基づいて、売買注文が行われていた。

(二) また、本件株式取引において、実際に証券会社との間で株券や現金の受渡しをしていたのは、原告美貴夫又は原告笑子であった。

5 各原告の株式取引の経緯

(一) 原告美貴夫の株式取引の経緯

(1) 原告美貴夫の父原田貴代市(以下「貴代市」という。)は、戦前から、愛知県碧南市で瓦製造業を営むかたわら、熱心に株式取引を行っていた。昭和二二年に証券取引が再開されたころ、貴代市も株式取引を再開したが、自ら名古屋市内の証券会社に出向くことができなかったため、当時一八歳の原告美貴夫を使者として証券会社に赴かせ、株式取引を行っていた。

原告美貴夫は、次第に自らも株式取引に関心を持つようになり、貴代市から受け取った労賃等を資金にして、自らも株式取引を開始するようになった。

(2) 原告美貴夫は、昭和三〇年には、碧南証券(同年末に閉店した。)に勤務していたが、手持ちの二〇万円くらいの株式を運用して、年間五〇〇万円くらいの利益を上げた。

その当時から、原告美貴夫は、既にプロとしての評判を得ており、常に各種資料を集め、罫線グラフを作成し、株価の動向を研究して、株式取引を続けていた。

そして、昭和三三年には、年間六〇〇万円くらいの利益を得た。

(3) 原告美貴夫は、昭和四〇年の株式不況の際に、莫大な損失を被ったため、株式取引によって生計を維持することを断念し、昭和四二年に司法書士となったが、その後も趣味として、所得税法所定の非課税限度内で、株式取引を継続していた。

(二) 原告笑子の株式取引の経緯

(1) 原告笑子は、昭和三〇年に原告美貴夫と婚姻し、家事に従事するようになったが、原告美貴夫が株式取引によって大きな利益を得ており、原告美貴夫に勧められたことから、同年五月又は六月ころ、碧南証券に自己名義の株式取引口座を開設して、婚姻前から所持していた銀行預金を払い戻した資金によって、昭和石油株五〇〇株を一株九五円程度で買い付け、株式取引を開始するようになった。

(2) 原告笑子は、碧南証券の閉店後も内外証券、丸八証券及び丸万証券に自己名義の株式取引口座を開設して、株式取引を継続し、持ち株数を順次増加させており、昭和六三年からは、野畑証券碧南支店を中心に株式取引を行っている。

(3) 原告笑子は、現在では、株式取引について充分な知識経験を有している。

原告笑子は、株式売買は貯蓄の一種であると考えており、株を買い付ける時には会社四季報を拠り所とするほか、原告美貴夫や原告義久が儲けたことのある銘柄に注目している。判断に迷う時は、原告美貴夫や原告義久に相談することもある。

原告笑子は、株の売却については早売りしないことをモットーとしており、売却時期についての自己の判断に自信を持っている。持ち株の時価が購入価格より下落した時には、忍耐強く保持している。

(三) 原告義久の株式取引の経緯

(1) 原告義久は、幼少のころから、原告美貴夫が昼間かけっ放しにして聞いていた短波ラジオの株式市況放送を子守歌代わりに聞いて育ったこともあり、株式取引に強い関心を抱いていた。

原告義久は、昭和五〇年に高校を卒業して、日本電装に就職したが、原告美貴夫の勧めにより、同年の夏又は秋ころ、丸八証券碧南支店に自己名義の株式取引口座を開設し、日本精蝋株二〇〇〇株を一株一〇〇円程度で買い付け、株式取引を開始するようになった。

(3) 原告義久は、右株式取引によって利益を得たことから、株式取引に対する関心を強め、各種資料によって本格的に株式を研究し、多くの株式取引を行うようになった。

原告義久は、家計費を負担する必要がなかったことから、日本電装らの給与、株式取引の利益等の収入の大部分を株式取引の資金に回すようになった。

また、株式市場新聞や会社四季報といった各種資料を充分に研究し、昭和五二年ころからは、注目している銘柄の株価についての週足の罫線グラフを作成するなどして、売買する銘柄を独自に判断するようになった。

(4) 原告義久は、最近では、パソコンを利用して週足の罫線グラフを作成して相場予想をするなど、原告らのうちで最も科学的手法により売買する銘柄を判断している。

その反面、悪材料買いの傾向があり、「悪材料こそ妙味がある。」との持論を有している。

(四) 原告恵子の株式取引の経緯

(1) 原告恵子は、原告美貴夫が昼間かけっ放しにして聞いていた短波ラジオの株式市況放送を子守歌代わりに聞いて育ち、小学校時代には、原告美貴夫が株価グラフを作成する手伝いとして、新聞の株価の読み上げをしていたことから、早くから株式取引に強い関心を抱いていて。

(2) 原告恵子は、昭和五三年五月末ころ、原告笑子の株式取引口座を利用して、芝浦製作所株二〇〇〇株を一株二八〇円程度で買い付け、株式取引を開始した。

(3) 原告恵子は、その後も株の売得金やアルバイトの賃金を資金として株式取引を継続し、手持株を増加させていったが、短期大学を卒業した昭和五六年に、内外証券に自己名義の株式取引口座を開設して、本格的に株式取引に取り組むようになった。

原告恵子は、そのころには、現金及び株式で七〇〇万円くらいの資産を有していた。

原告恵子は、家計費を負担する必要がなかったことから、オレンジツーリストからの給与、株式取引の利益等の収入の大部分を株式取引の資金に回すようになった。

(4) 原告恵子は、「株式取引は儲かるもの」という認識を持っており、信用取引についても「お金がなくても儲かる制度」と認識している。現に株式取引で損をした記憶はあまりなく、株式取引による利益の一部は、日常使用している銀行預金口座とは別の銀行預金口座を開設して、結婚資金として貯蓄していた。

原告恵子は、株式市場新聞、会社四季報やチャートを愛読し、一般新聞は株式欄しか読まないことがほとんどである。原告恵子は、株式売買は才能・センスが物を言うと考えており、勘が閃いた時に株式を買い付け、又は売り付ける。

原告恵子は、罫線グラフを作成して、株価がどのような動きを見せるかについて研究しており、抵抗線によって株価の変動が予測できることを発見した。

(五) 以上に述べたとおり、原告らは、各自が、株式取引について強い関心を抱き、昭和六〇年ないし昭和六三年当時にはベテランの域を達していたものであって、相場の変動、特定銘柄の株価の見通し等についても、独自の判断を持っていた。

6 総括

以上のとおり、本件株式取引は、いずれも各名義人によって行われたものであり、これに基づく所得は、いずれも各名義人に帰属する。

昭和六〇年から昭和六二年にかけて、株式取引ブームがあり、その際に所得税法九条一項の規定を濫用して脱税を企てた事例が続出したことは周知の事実である。しかし、原告らは、そのような不正行為を企てたものではなく、株式ブームの前から、それぞれの資金により、それぞれの判断によって堅実に株式取引を楽しんできたものである。

(被告の再反論)

1 原告らの反論第1項(二)(共同買付及び贈与)について

(一) 同項の主張は、被告が指摘した各原告名義の株式取引口座における株式の買付株数と売付株数との食い違いについて、辻褄を合わせようとするものにすぎない。

(二) 同項(二)(1)の共同買付回数の節約をも意図していた旨の主張は、まさしく課税を免れたために、異名義口座を利用して、株式取引回数の操作をしていたことを自認するものである。原告美貴夫は、右のような操作を繰り返すことによって、各原告名義の株式取引口座における株式の売買回数や売買株式数量が非課税限度を超えないように配分していたものである。

2 原告らの反論第2項(各原告名義相互間における資金の移動)について

(一) 同項(二)(2)(手持と現金による資金の融通)

(1) 同項の主張によると、各原告が、それぞれ手許に常時二〇〇万ないし三〇〇万円、合計して約一〇〇〇万円程度の現金を原告ら宅に用意していたことになるが、盗難や火災の危険に照らすと、不合理である。

また、本件異議申立て(一)の調査の際に、係官が原告ら宅一階居間に置かれた金庫の中を確認した際には、現金は発見されなかった。

(2) 仮に原告らが手許に常時現金を用意していたとしても、原告ら名義相互間で移動している資金の金額は、原告らが用意していたと称する金額の範囲内のものが大半であるから、買付代金が間に合わないときの一時借用として資金の融通が行われたというのでは、説明として不合理である。

(二) 同項(二)(3)(口座上の資金の融通)について

各原告名義の株式取引口座においては、売り付けられた株式の代金は、他の株式の買付資金に充てられている場合を除き、速やかに出金処理されており、預り金が預けられたままになっているようなことは稀である。

したがって、各原告名義の株式取引口座に売却代金の残高があるということ自体がほとんどないのであるから、原告らの反論第2項(二)(3)記載のように、たまたま一人の原告名義の株式取引口座に預り金があった場合に、これを別の原告名義の株式取引口座に移動させることによって、資金の融通が行われたということはありえない。

各原告名義の株式取引口座相互間で資金の移動が行われたのは、いずれも、同日において、一人の原告名義の株式取引口座において株式が売り付けられ、別の原告名義の株式取引口座において株式が買い付けられた場合のみである。

(三) このように、各原告名義の株式取引口座相互間における資金の移動は、原告が一貫して主張している「資金の融通=資金に余裕のある者が他の者に資金を回すこと」という前提では、到底説明がつかない。

3 原告らの反論第3項(共同買付や資金の融通に関する清算)について

(一) 同項の主張は、被告が主張した個々の資金の移動について、各原告相互間で清算があったかのように配列し、それでは説明がつかない部分については、手許現金により清算したと主張しているものであって、辻褄合わせにすぎない。

(二) 同項の主張によると、原告らは、自宅において家族間で日常的に数百万円単位の現金をやりとりしていたことになるが、そのこと自体が非常識である。

(三) また、以下に述べるとおり、同項の主張には、不合理な部分等がある。

(1) 原告美貴夫は、当初は、昭和六〇年五月二日、原告恵子に対し、大都漁類株二〇〇〇株(取得費用五一万四三三四円)を贈与しながら、同月一〇日、原告恵子から五一万四三三四円の現金を受け取った旨、矛盾する主張をしていたところ、被告からその点を指摘されるや、右贈与の主張を撤回し、共同買付の主張をするに至ったものであり、右主張には一貫性がない。

(2) 原告美貴夫は、昭和六一年二月一七日、原告恵子から日立造船エンジニアリング株一〇〇〇株の買付代金四〇万八〇三七円の融通を受けた上、同月一八日、同株二〇〇〇株(取得費用八一万六〇七五円)を原告恵子のために共同買付し、同月二六日、原告恵子に対し四〇万八〇三七円を支払って清算したと主張しているが、このような金銭の動きは不自然である。

(3) 原告笑子は、昭和六一年五月八日当時、原告美貴夫に対し、七五四万〇二三二円の債務を負っていたにもかかわらず、同日の原告笑子名義の株式取引口座からの出金額一一二一万三八五〇円から、七五四万〇二三二円全額を返済せずに、六四四万五五三七円だけを返済し、その差額一〇九万四六九五円は、同月九日に現金で藩際したと主張しているが、このような金銭の動きは不自然である。

(4) 原告美貴夫は、昭和六一年七月二五日当時、原告笑子に対し、一九七二万七四七〇円の債務を負っていたにもかかわらず、同日の原告美貴夫名義の株式取引口座からの出金額一七一一万九九六円全額を返済せずに、一六六四万九九四九円だけを返済したと主張しているが、このような金銭の動きは不自然である。

(5) 原告笑子は、昭和六一年七月二七日、原告恵子に対し、椿本チェーン株二万一〇〇〇株を譲渡したと主張しているが、右譲渡について有価証券取引税の申告を行っておらず、原告笑子と原告恵子との間で右株式の譲渡があったとは認められない。

(6) 原告笑子は、原告義久との昭和六一年分の清算として、同年一〇月二日椿本チェーン株七〇〇〇株をもって決済したと主張しているが、原告笑子は、右清算について有価証券取引税の申告を行っておらず、原告笑子と原告義久との間で右株式の譲渡があったとは認められない。

(7) 原告義久は、昭和六二年六月一〇日、原告笑子名義の預金口座から出金された三〇〇万円を借り入れ、同年七月三日、丸万証券の原告恵子名義の株式取引口座から出金された現金をもって、右借入金を返済したと主張しているが、このような金銭の流れは、原告美貴夫が原告ら名義の各口座を操作して、意のままに資金調達を行っていたことの現れである。

(8) 原告恵子は、昭和六二年六月二三日、宮地鉄工所株取得のため、原告義久から現金七一九万五五六二円を借用し、その返済として、同月二五日、現金四一九万五九六二円を支払ったほか、同年七月五日、原告義久の原告笑子に対する三〇〇万円の債務を代位弁済したと主張しているが、右借用及び返済については、何ら立証がない。

第三証拠

本件訴訟記録中の証書目録及び証人等目録の記載を引用する。

第四争点に対する当裁判所の判断

一  原告ら名義の株式取引口座の管理支配の状況

1  本件株式取引の中には、昭和六〇年から昭和六二年までは別表(三)、昭和六三年は別表(四)(中部水産の株式を除く。)記載のとおり、ある原告の名義の株式取引口座において買い付けられた株式が、他の原告の名義の株式取引口座において売り付けられている場合があり、また、昭和六〇年から昭和六二年までは別表(五)、昭和六三年は別表(六)(昭和六三年九月のものを除く。)記載のとおり、ある原告の名義の預金口座等の資金や株式取引口座における売付株式の代金が、他の原告名義の株式取引口座における買付株式の代金に充当されている場合がある。

そして、原告らは、前の場合については、株式の共同買付、贈与等がされたからであり、後の場合については、資金の融通等をしたものである旨主張し、証券会社から売買報告書を受け取る度に、その欄外や裏面に共同買付、資金の融通等の事実をメモ書きしておいて、清算した旨主張する。

そこで、以下、右の点につき検討する。

2  売買報告書のメモ書き部分の信用性について

(一) 原告らは、右売買報告書を書証(甲一八の一ないし一七、甲一九の二ないし二二、甲二〇の一ないし一一、甲二一の二ないし九、甲四四の一、二)として提出した(以下、この売買報告書を「本件売買報告書」という。)。

(二)(1) しかし、証拠(乙五六、六一、六三ないし七〇、後藤証人)によると、原告らは、本件処分(一)、本件異議申立て(一)及び本件審査請求(一)の各段階において、担当係官から、家族間の売買や貸借を証明できる書類等があれば提示するように繰り返し求められていたにもかかわらず、売買報告書にメモ書きはしているが済むと捨ててしまったとか、証明できる資料はないなどと述べ、本件売買報告書を証拠として提示しなかったことが認められる。

(2) そして、原告らは、本件訴訟において、被告から争いのない事実等第3項及び第4項の事実が詳細に主張され、また、それらの事実を証明するため顧客勘定元帳の写しその他の書証が提出された後になって、初めて反論の事実主張をするとともに本件売買報告書を書証として提出した。

(三) そこで、本件売買報告書を検討するに、本件売買報告書には、後日の清算とは関係のない贈与をした旨のメモ書きが記入されているものがあり(甲一八の四、甲四四の一、二)、本件売買報告書のメモ書き部分は、時期的に長期間にわたっているにもかかわらず、いずれも鉛筆書きで、各名義人ごとにほぼ同じ大きさの文字で、ほぼ同じ濃さで記入されており、筆跡にもあまりばらつきがみられない。

しかも、本訴において用いられた「共同買付」という語を用いて、記載されているものが多く存在する(甲一八の六、七、一七、甲二〇の一、二、五、七、九、一〇、甲二一の四)。

そして、全体として、事情を知っている家族間の清算のためのメモというより、第三者に対する説明用の記載のように、丁寧かつ明瞭に記載されている。

(四) 右(二)(三)の点からして、本件売買報告書のメモ書き部分は、本件売買報告書を受領したころに記入されたものではなく、本訴になって、被告の指摘した事実に対する反論として、共同買付、贈与、現金での清算等を主張し、それを根拠付けるために、各原告によって記入された疑いが極めて濃厚である。

そして、本件売買契約書のメモ書き部分は、本件売買報告書を証券会社から受領したところ、各原告が記載したものである旨の各原告本人の供述は、到底信用することができない。

3  手許現金による資金の融通及び清算について

(一) 証拠(乙六九、七〇、後藤証人)によると、本件処分(一)の調査の際に、担当係官が、原告ら宅一階居間に置かれた金庫の中を確認したときには、現金は発見されなかったことが認められる。

(二) 右事実に加え、各原告が常時手許にそれぞれ百万円単位の現金を用意していたということは、盗難、火災等の危険があることに照らし、不合理である。また、もし、原告らが株式取引のために常時資金を用意しておきたいのであれば、証券会社における各原告名義の株式取引口座に預り金として用意しておけば足りるし、家族間の清算であれば自己の預金口座から出金して支払うことも可能であって、各原告が多額の現金を常時用意しておく必要があるとはいえない。

したがって、各原告が常時、手許に二、三〇〇万円の現金を所持しており、これによって資金の融通や清算を行っていたとの原告美貴夫本人の供述及びこれに符号する原告笑子本人、原告義久本人、原告恵子本人の各供述は、信用することができない。

4  口座上の資金の融通について

(一) 証拠(乙五六、五八、六〇、六四、平井証人、原告美貴夫本人、原告笑子本人、原告義久本人、原告恵子本人)によると、平井英夫(以下「平井」という。)は、本件株式取引当時、丸万証券の歩合制外務員であり、原告らを担当していたこと、本件株式取引のうち、ある原告の名義で売付がされるとともに、他の原告の名義で買付がされたため、同日において、丸万証券との間で、ある原告の名義の株式取引口座に出金すべき代金が生じ、かつ、他の原告の名義の株式取引口座に入金すべき代金が生じた場合については、証券会社側の要望に原告ら側が応じる形で、入金額と出金額とを差引勘定して、その差額のみを授受して、決済していたことが認められる。

(二)(1) 証拠(乙二九ないし三九、四三ないし四五、平井証人、原告笑子本人)によると、原告ら名義の株式取引口座においては、売り付けられた株式の代金は、他の株式の買付資金に充てられている場合を除き、速やかに出金処理がされており、代金が預けられたままになっているようなことはなかったことが認められる。

(2) また、原告美貴夫本人は、ある原告の名義の株式取引口座の資金を他の原告の名義の株式取引口座に移動させる場合には、原告らの間で予め資金の融通について了解をとっておき、決済日の前日又は当日に証券会社から電話を受けた際に、どの原告名義の株式取引口座から資金を移動させるかについて指示を出していた旨の供述をし、原告笑子本人、原告義久本人、原告恵子本人もこれに符号する供述をする。

しかし、これらの供述は、平井証人が、原告らからこのような指示を受けたことはない旨供述していることに照らし、採用できない。

(3) したがって、各原告名義の株式取引口座相互間における資金の移動は、ある原告の名義の株式取引口座にあった預り金を他の原告名義の株式取引口座に行われる場合(このような場合には、同日に売付をした原告名義の株式取引口座から買付をした原告名義の株式取引口座へ資金を移動させることにより、差引勘定を行えばよいことは明らかであるから、どの原告名義の株式取引口座から資金を移動させるかについて指示をするなどといった問題は生じない。)にのみ行われていたものと認められる。

(4) 右のとおり、各原告名義の株式取引口座相互間における資金の移動は、右(一)の差引勘定が行われる場合にのみ行われていたと認められるところ、このような差引勘定は、証券会社の要望によるものであり、原告らの都合によるものではないから、右資金の移動をもって、原告らのうち資金に余裕のある者から、別の原告に対し、資金の融通が行われたということはできない(資金の融通であれば、原告らの指示に基づき、専ら原告らの都合に合わせて行われるはずである。)。

(三)(1) 証拠(平井証人)によると、平井は、右(一)の差引勘定について、事後に原告ら相互間において清算がされていたかどうかについて確認をとっていなかったことが認められる。

(2) そして、平井が、右(一)の差引勘定を行いながら、事後の清算について確認をとる必要がなかったのは、原告笑子ら名義の株式取引口座がいずれも実質的には、原告美貴夫によって管理支配されており、各原告名義の株式取引口座相互間においては、資金の清算を行う必要はなかった上に、そのことを平井が熟知していたためであると考えるのが合理的である。

(四) また、原告らの主張(別表(十五))によっても、本件株式取引の清算のために原告恵子名義の預金口座から払い出された資金が充てられたのは、昭和六〇年五月三一日に東海銀行碧南支店の同人名義の預金口座(甲一一)から払い出された二九万五〇〇〇円のうち、原告義久に支払われたとされる二九万三二九五円のみである。

しかるに、原告恵子本人は、自己名義の預金口座から払い出した金銭を、本件株式取引の清算のために原告美貴夫、原告笑子及び原告義久のいずれにも支払ったことがあり、その金額は数百万円に及ぶことがあった旨供述する。

このように、原告恵子本人が、自己名義の共同買付、資金の融通等についてされた清算について不正確な供述をしていることからすると、原告恵子は、実際には右清算について関与していなかったことが確認される。

(五) 右(一)ないし(四)において検討したところによると、各原告名義の株式取引口座相互間における資金の移動は、各原告相互間における資金の融通の結果として生じたものではなく、右(一)の差引勘定の結果として生じたものである上、右資金の移動については、各原告相互間において清算が行われていなかったものと認めるのが相当である。

5  以上判示したところによると、原告ら名義の株式取引口座は、いずれも実質的には、原告美貴夫により一体的に管理支配されていたということができる。

二  売買注文及び株券や現金の受渡しの実行について

証拠(乙五九ないし六一、平井証人、原告美貴夫本人、原告笑子本人、原告義久本人、原告恵子本人)によると、本件株式取引における売買注文は、原告義久及び原告恵子が仕事に出ている昼間の時間帯に、原告美貴夫又は原告笑子が証券会社に電話して行っており、また、株券又は現金の受渡しの必要がある場合には、証券会社の担当者が原告らの自宅を訪問して行っており、その際に対応していたのは、原告美貴夫又は原告笑子であったことが認められる。

三  原告らの株式の保管状況について

1(一)  証拠(乙二五、六一、六三、六六、原告笑子本人、原告義久本人)によると、原告笑子及び原告義久は、争いのない事実等第3項(二)の事実について知らなかったこと、原告美貴夫がカネツ商事において商品取引を行っていた昭和五八、九年当時は、原告義久名義の株式は、原告美貴夫が自由に処分できる状態であったこと、その後も平成二年四月に至るまで、原告ら名義の株券の保管状況には変化がなかったことが認められる。

(二)  しかるに、右(一)認定の各事実は、原告らの反論第1項(一)の主張事実と矛盾するものであり、とりわけ原告笑子及び原告義久が争いのない事実等第3項(二)の事実を知らなかったという事態は、原告らの反論第1項(一)の主張事実が真実であれば、起こり得なかったはずである。

2  証拠(乙六九、後藤証人、原告美貴夫本人、原告笑子本人)によると、本件異議申立て(一)の調査の際に、担当係官が、原告ら宅一階居間に置かれた金庫の中を確認したところ、原告義久名義のダイジェット工業株の株券及び原告恵子名義の鶴見曹達株の配当金を受領するための郵便振替支払通知書が保管されているのを発見したことが認められる。

3(1)  原告義久本人及び原告恵子本人は、原告ら宅二階の原告恵子の部屋に置かれた金庫を二人で使用していたと供述し、また、原告義久本人は、金庫の鍵は一個しかなかったが、原告恵子の部屋のタンスや机の引出しの中に保管しており、時々保管場所を変えていた旨の供述をする。

(2)  しかし、妹である原告恵子の部屋に、兄である原告義久が、自由に立ち入り、タンスや机の中を開けることを許されていたというようなことは、不自然であって、右各供述は、信用し難い。

4  右1ないし3において検討したところによると、原告らの反論第2項(一)の事実を認めることはできず、かえって各原告名義の株式は、すべて原告美貴夫によって保管されていたことが推認される。

四  各原告の株式取引の経緯について

1  原告美貴夫の株式取引の経緯について

証拠(原告美貴夫本人)と弁論の全趣旨によると、原告らの反論第5項(一)の事実を認めることができ、また、原告美貴夫は、昭和六〇年四月には、司法書士を廃業し、それ以降は、株式の取引に専念できる状況にあったことが認められる。

2  原告笑子の株式取引の経緯について

(一) 証拠(乙二五、六一、原告笑子本人)によると、原告笑子は、これまでに罫線グラフを作成したことがないこと、原告笑子は、自分名義の信用取引が行われていた時期を知らないことが認められ、自己名義の株式が、原告美貴夫が昭和五八、九年にカネツ商事において行った商品取引の証拠金代用証券として預託され、かつ、右商品取引の損失の補填金に充当された事実を知らなかったことは前示のとおりである。

(二) 証拠(乙二九ないし三二、乙四八ないし五〇、原告笑子本人)によると、昭和六〇年五月三一日に東海銀行碧南支店の原告笑子名義の預金口座から丸万証券に一〇四三万〇七七四円が降り込まれ、うち五二九万一九三六円は原告笑子名義の、うち二九二万二二三一円は原告義久名義の、うち二二一万六六〇七円は原告恵子名義の各株式取引口座に入金されたが、右振込みの際の振込依頼書の筆跡は原告美貴夫のものであること、同年八月二八日に同口座から二〇〇万円が払い戻され、これと現金二二五万五九六円と合わせて四二五万五九六九円が丸万証券に降り込まれ、うち三八九万五五一九円は原告美貴夫名義の、うち三六万〇四五〇円は原告笑子名義の各株式取引口座に入金されたが、右払戻しの際の払戻請求書の筆跡は原告美貴夫のものであることが認められる。

(三) 右において検討したところからすると、原告笑子については、主体的に株式取引を行っていたとすることはできず、原告笑子名義の本件株式取引は、実際には原告美貴夫が、原告笑子の名義を借用し行っていたものであることが推認される。

3  原告義久の株式取引の経緯について

(一) 証拠(乙五三)によると、原告義久が丸八証券に株式取引口座を開設した時期は、昭和五〇年ではなく、昭和五三年三月一日であることが認められる。

(二) 原告義久は、株式取引を開始する際の資金について、当初は「祖母の原田ナヘ(以下「ナヘ」という。)から贈与を受けた株式」と主張していたが、後に「勤務先からの給料」と主張を改めており、さらに本人尋問の際には、「小遣い程度の貯金」と供述している。

このように、原告義久の株式取引開始の際の資金の説明には、一貫性がない。

(三) 前示のとおり、原告義久は、自己名義の株式が、原告美貴夫が昭和五八、九年にカネツ商事において行った商品取引の証拠金代用証券として預託され、かつ、右商品取引の損失の補填金に充当された事実を知らなかった。

(四) パソコン(以下「本件パソコン」という。)の使用について

(1) 証拠(乙七四、七六)によると、本件パソコンは昭和六二年に原告美貴夫が購入したものであり、平成三年三月一四日に原告義久に名義変更されたこと、本件パソコンの購入代金や、株価情報受信のための電話回線の利用料金は、原告美貴夫名義の預金口座から支払われていることが認められる。

(2) 証拠(甲一七の八、原告美貴夫本人、原告義久本人)によると、原告義久の部屋は原告ら宅の二階にあるが、本件パソコンは、原告ら宅の一階玄関脇の机の上に置かれていること、本件パソコンが置かれている机には、司法書士を開業していた原告美貴夫の蔵書と思われる書籍が並んでいることが認められる。

(3) 証拠(平井証人)によると、平井は、原告美貴夫が本件パソコンを一人で動かしている場面を何度か目撃していることが認められる。

(4) ところが、原告義久本人は、本件パソコンは、昭和六〇年に自分の金で購入して株価の傾向判断等に利用している旨供述する。

しかし、証拠(乙七四、七五)によると、本件パソコンに使用されているソフトウェアの名称は、当初は「チャートスター」であり、平成二年七月二五日に「チャートスターベクター」にバージョンアップされたこと、右ソフトウェアにおいては、株式取引のある日ごとに右ソフトウェアを供給した会社から電話回線を通して株価の四本値のデータが送信されてくること、「チャートスターベクター」において、ポートフォリオ機能が標準装備されており、保有株式の損益状況、総株式の時価評価、売買経過等の保有株式の分析が可能であることが認められるところ、原告義久本人は、右ソフトウェアの名称すら供述することができず、また、本件パソコンにおいて用いられる株価データを取得する仕組みに関し、パソコン通信のように通信会社を介するものか否かについて質問された際に、適切な説明をすることができず、さらに、本件パソコンにおいては、自己が保有している株式の数量等を入力することはできない旨断定的に供述している。

(5) 右(1)ないし(4)で検討したところからすろと、本件パソコンは、原告美貴夫が購入を決定し、かつ、費用を負担していたものであり、主として原告美貴夫が活用していたものと認めることができる。

(五)(1) 証拠(甲一三、原告美貴夫本人、原告義久本人)によると、原告義久は、新聞記事をスクラップしたり、罫線グラフを作成したりして、株価の変動を研究していたことが認められる。

(2) しかし、甲一三のスクラップや罫線グラフは、ほとんどが昭和五〇年ないし昭和五三年ころに関するものであり、本件株式取引が行われた昭和六〇年ないし昭和六三年ころに原告義久が同様の研究をしていたことを裏付ける資料が提出されていないことからすると、右事実をもって直ちに原告義久が自己の資金及び危険負担において本件株式取引を行っていたとの事実を認めることはできない。

(六) 右(一)ないし(五)で検討したところからすると、原告義久名義の本件株式取引は、原告義久ではなく、実際には原告美貴夫が、原告義久の名義を借用し、行っていたものであることが推認される。

4  原告恵子の株式取引の経緯にういて

(一)(1) 原告恵子は、株式取引を開始した時期について、当初は「短期大学在学中」であると主張していたが、後に高校三年生であった「昭和五三年五月末ころ」と主張を改めた。また、原告恵子は、株式取引を開始する際の資金について、当初は「ナヘから贈与を受けた株式」と主張していたが、後に「お年玉等の小遣いを郵便局にこども貯金していたもの」と主張を改めた。

(2) このように、原告恵子の株式取引開始の時期及びその資金の説明には、一貫性がない。

(二)(1) 証拠(甲一〇)によると、東海銀行の原告恵子名義の預金口座には、昭和五三年三月九日に六四万円の預入れがあり、同年六月一日に五五万三〇〇〇円が引き出され、芝浦製作所株の買付代金に充てられたことが認められる。

(2) しかるに、右六四万円の出所については、原告恵子の供述以外に客観的証拠がない。そして、六四万円という金額は当時高校生であった原告恵子にとっては高額であること、右「こども貯金」については、通帳等の客観的証拠が提出されていないこと、「こども貯金」をわざわざ一時的に東海銀行の預金口座に預け替えたことについては、合理的な説明がされていないことからすると、右東海銀行の原告恵子名義の預金口座は、実際に原告恵子が管理支配していたものではなく、右六四万円は、原告恵子以外の者の資金であることが窺われる。

(三)(1) 証拠(乙五五)によると、原告恵子が内外証券に株式取引口座を開設したのは、昭和五九年四月一〇日であったことが認められる(乙五五の顧客登録カードの右上部の日付欄には、原告美貴夫のもとには昭和五四年六月一五日、原告笑子のものには同年九月二一日、原告義久のもとには昭和五七年五月三一日、原告恵子のもとには昭和五九年四月一〇日と記入されており、時期的におおきなばらつきがあることや、これらの日付が保護預り口座設定のご通知(甲一九の一、甲二一の一、甲三九)の申込欄の日付と一致することからすると、右カードの右上部の日付欄の日付は、原告ら主張のように右カードが再整備された日付ではなく、当初に株式取引口座が開設された日付が記入されているものと認められる。)。

(四)(1) 証拠(乙五五、平井証人)によると、右顧客登録カードにおける原告恵子の年齢及び職業の記載は、平井が勝手に記入したものであり、実際とは異なるものであったことが認められる。

(2) そして、もし原告恵子が、自己名義の株式取引口座の開設に主体的に関与していたのであれば、年齢及び職業といった個人の基本的属性に関する事項について、右顧客登録カードの記載に誤りが生じるとは考え難い。

(五)(1) 証拠(乙六四、原告恵子本人)によると、原告恵子名義の株式は、昭和五九年末の時点で、二三五〇万三〇〇〇円に達していたこと、昭和六〇年ころのオレンジツーリストからの原告恵子の給与は、二〇万円弱であったことが認められる。

(2) そうすると、原告恵子が就職したのは昭和五六年であるから、右オレンジツーリストからの給与の金額から考えて、右原告恵子名義の株式が、原告恵子の資金によって買い付けられたものと認めることはできない。

(六) 次に、甲一四の一ないし四、甲一五、一六、二二、二三については、仮に、それが原告恵子が関与して作成した罫線グラフであるとしても、原告恵子が関与した時期、作成した時期は明らかでではない。しかも、その時期が本件株式取引のされた時期であるとしても、罫線の作成をしたということのみでは、原告恵子が、自己の投資判断に基づいて株式取引を行っていたものと認めることはできない。

(七) 右(一)ないし(六)で検討したところからすると、原告恵子名義の本件株式取引は、原告恵子ではなく、実際には原告美貴夫が、原告恵子の名義を借用し、行っていたものであることが推認される。

五  結論

右一ないし四において判示したところによると、本件株式取引は、原告美貴夫において、原告美貴夫の計算により行ったものと認められるから、それに基づく所得は、原告美貴夫に帰属することになる。

そして、証拠(原告美貴夫本人)と弁論の全趣旨によると、原告美貴夫は、本件株式取引が非課税限度を超えると、所得税の課税対象となることから、原告笑子らの名義を借用し、適宜名義を分散して、各原告名義の株式取引が非課税限度内にとどまるようにした上、自ら本件株式取引を行い、そのような仮装に基づいて、本件各係争年度分の確定申告をしたものと認められる。

したがって、原告美貴夫は、重加算税賦課の要件を充たしていることになる。

第五総括

よって、原告らの請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡久幸治 裁判官 森義之 裁判官 岩松浩之)

別表(一)

本件係争各年分の株式の売買回数及び売買株数一覧表

〈省略〉

別表(二)

株式の売買回数及び売買株数一覧表

〈省略〉

別表(三)

異名義口座による株式の売買

(No1)

〈省略〉

(No2)

〈省略〉

(No3)

〈省略〉

(No4)

〈省略〉

(No5)

〈省略〉

(No6)

〈省略〉

(No7)

〈省略〉

(No8)

〈省略〉

別表(四)

異名義口座による株式の売買

〈省略〉

別表(五)

株式売買取引に関する資金等の移動・充当

〈省略〉

別表(六)

株式売買取引に関する資金等の移動・充当

〈省略〉

別表(七)

申告・更正等の内容

〈省略〉

別表(八)

申告・更正等の内容

〈省略〉

別表(九)

申告・更正等の内容

〈省略〉

別表(十)

申告・更正等の内容

〈省略〉

別表(十一)

申告・更正等の内容

〈省略〉

別表(十二)

申告・更正等の内容

〈省略〉

別表(十三)

申告・更正等の内容

〈省略〉

別表(十四)

申告・更正等の内容

〈省略〉

別表(十五)

第一、昭和60年(1)

〈省略〉

第一 昭和60年(2)

〈省略〉

第一 昭和60年(3)

〈省略〉

第二 昭和61年(1)

〈省略〉

第二 昭和61年(2)

〈省略〉

第二 昭和61年(3)

〈省略〉

第三 昭和62年(1)

〈省略〉

第三 昭和62年(2)

〈省略〉

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